日本人なら知っていてほしい怪談

ある時、私は銀魂を読んでいて妙な感覚になりました。
それは町内の肝試し大会の裏方を舞台とした第八十二訓での、新八のこのセリフ。
「一枚二枚って数えていって九枚目で『一枚たりないうらめしやー』って襲い掛かるんだよ」

そして神楽の、片目の潰れたお菊さんの扮装。この、「皿屋敷」と「四谷怪談」が混同されているという事実。いつだったか、「最近はこういう怪談を知らなかったり、お菊さん・お岩さんという名前は知っていてもストーリーをわかっていなかったり、皿屋敷・四谷怪談を混同している子供が多い」というような事を書いた本読んだことがあります(本のタイトルは失念)。

そこで、有名な怪談の簡単なあらすじを紹介する事にしました。なんとなくです。

あらすじの前に、八十二訓で名前の出た「番町皿屋敷」についての話をします。
実は皿屋敷伝説というのは全国各地にあって、場所によってストーリーが異なります。「番町皿屋敷」は江戸牛込御門内番町(現在の千代田区?)を舞台とした皿屋敷伝説で、岡本綺堂が大正5年、播磨の「播州皿屋敷」を元に創作したものです。

…ん?


…大正5年?


実はかなり最近にできた話!?

なんと、「番町皿屋敷」という怪談は江戸時代には存在しない話だったのだ!新八はあそこで「播州皿屋敷」と言うべきだったのである。空知、ここでもミス!……とか思いましたが、銀魂の世界観を見てもわかる通り、こんなのは気にするに値しない事実ですね。なんてったって江戸時代に宇宙人がいて宇宙旅行してるんですからね。オゥ、イッツファンタジー。ワンダホゥ!





◆播州皿屋敷

無実の罪で惨殺され お菊
ということで、あらすじ紹介するのは元ネタである播州皿屋敷の方をやります。番町の方は、お菊さんが想い人の心を試すためにわざと大切な皿を割り、それを咎められて井戸に身を投げたという悲恋もの。

~あらすじ~
時代は室町将軍足利義政の頃、この義政が細川家に伝わる10枚の唐絵の皿を所望した。しかし細川家ではこの皿を紛失しており、渡そうにも渡せない。そこで細川政元は家宝という理由で皿の譲渡を拒んだが、それが将軍の勘に触れ、政元は細川家当主の座を追われ、浪人のようになっていた。。
ここで皿がすでに紛失している事を知った山名宗全が登場、細川家の播州姫路城を手に入れる好機とばかり、細川家がぐるになって将軍を欺いたの何のといちゃもんをつけた。政元はどうしても皿を探さねばならなくなり、この皿の捜索に主君と共に乗り出したのが細川家の若き家老・船瀬三平とその妻お菊である。こうして皿探しが始まったが、皿を盗み出したのはなんとお菊の父だという事が判った。しかも皿はもうすでに父の手元にはなく、お菊の弟が売り払ってしまっていた。血のつながった父・弟を斬らねばならなくなったお菊、苦悩の末にとにかくそれをやり遂げた。さらに女郎屋に身を売るなどして、大変な思いをして、やっとの事で皿を取り戻した。
ところが、身を寄せていた細川家の青山鉄山が山名宗全と手を組んでお家を乗っ取る陰謀を巡らすと、お菊のあずかる10枚の皿から1枚を抜き取り、この失われた1枚のためにお菊を追求したのである。お菊はそんなはずはないと何度も皿を数え直した。一枚、二枚…しかし何度数えても皿は9枚しかない。鉄山はしめたとばかりにお菊を惨殺して井戸に投げ込んだのである。
しかし、この直後から早くもお菊の亡霊が出た。「鉄山どの、その皿をもう一度、読ませてくださんせ」と言い、いかにも未練が残るように家宝の皿を数え始めた。
「一枚、二枚、三枚・・・・・・・・・・」
数えるたびに皿はぐらぐらと揺れた。亡霊は9枚目を数え終わると、失われた9枚目のために「あな、悲しや」と叫んだが、その度に障子が揺れた。しかも、お菊の霊の姿は鉄山にしか見えなかったが、声だけは誰にも聞こえるという不思議なものだった。このため、鉄山の罪は露見してしまったのだった。
その後、鉄山はその屋敷から逃げ出し、色々な土地を逃亡したが、どこに住んでもお菊の亡霊が現れ皿を数えた。このため、鉄山はついに播州の屋敷に戻って自害したのであった。


◆東海道四谷怪談

不幸の女の凄まじき怨念 お岩
幽霊の定番、「ひゅうどろどろ」といえば彼女でしょう。江戸時代後期、文化文政期に活躍した作家・鶴屋南北の作。お岩様と伊右衛門にはモデルがおり、また実際に起こった事件がモチーフです。しかし実在したお岩様・伊右衛門とは関係ありません。忠臣蔵の裏話的なものとして多く扱われたりします。

~あらすじ~
浪人・民谷伊右衛門とお岩は一度は夫婦仲になっていたが、お岩の父・四谷左門により別れさせられていた。理由は、伊右衛門が主家の御用金を盗んだという事を左門は知っていたからだった。盗人など婿にできぬというのである。これを恨んだ伊右衛門は左門を殺してしまう。何も知らないお岩は悲しみのあまり自害しようとしたが、伊右衛門は「一緒に仇を討とう」と嘘の約束する。二人は結ばれ、やがて子供ができた。
その頃、伊右衛門とお岩の住んでいる近くに大変羽振りのよい伊藤喜兵衛という者がいたが、その孫娘のお梅が伊右衛門に惚れてしまう。喜兵衛は孫のためにぜひ伊右衛門をと考え、産後のお岩の面倒を見るふりをしてひそかに顔が醜くなる毒を盛った。
そして伊右衛門を家に招くと小判をちらつかせながら、お岩と離縁しお梅と結婚する事を迫る。まだまだお岩に惚れていた伊右衛門は迷ったが、お岩に毒を盛ったという話を聞くとついに結婚を承諾し、その日の内に内祝言を挙げる事も決めてしまった。
伊右衛門は一度家に帰ると、内祝言の金を作るためにお岩の着物も赤子のための蚊帳も、家の物なんでもかんでも質に入れてしまった。
伊右衛門はさらに離縁の理由を作るために、知り合いの宅悦にお岩を誘惑する事を頼んだりしたが、この宅悦がお岩に鏡を見せてしまう。お岩が鏡の中に見たものは、顔半分がくずれ、片目は潰れた恐ろしい己の姿だった。櫛で梳こうとすれば、髪はごそりとぬける。お岩は驚き嘆き、呪いの言葉を吐きながらついに死んでしまった。
伊右衛門は死んだお岩を見ると、小平という男と不倫していた事にしてこれも殺すと、二人を戸板の表裏に釘で打ちつけて川に流してしまった。
そして伊右衛門とお梅は結婚したが、早くもお岩が祟り始める。
その夜、床で伊右衛門がふとお梅を見上げると、その姿はなんと先ほど死んだはずのお岩なのである。そのお岩がじろりと睨みつけ、けらけらと笑った。伊右衛門は仰天し、思わずその首を斬ったが、落ちた首はお梅のものだった。伊右衛門は恐ろしさのあまり喜兵衛を起こすが、その姿は小平で、しかも幼子も殺されている。またも仰天し首を斬ったが、落ちた首は喜兵衛のもの。お岩の祟りである。
この後もお岩の霊は伊右衛門につきまとい、「うらめしや、伊右衛門どの」と恨み言を言い続け、身辺の者も祟りに遭い、両親までもがお岩の霊に殺された。
伊右衛門はお岩の義妹のお袖の夫・与茂七に斬られ死ぬ間際まで、怨霊に苦しめられた。


◆累ヶ淵

祟る女幽霊の元祖 累
祐天という和尚により1690年に発表された、実際にあった事件らしいです。歌舞伎、浄瑠璃、狂言などで多く扱われた作品。

~あらすじ~
下総の羽生村に、与右衛門というあくどい大百姓がいた。あるとき妻が死ぬと、杉という子連れの女と結婚したが、連れ子の助という子が醜い顔で目と足に障害を持っていたというだけで、杉に命じて殺させてしまった。
翌年、杉に女の子が生まれた、この子を見ると前年殺した助とそっくりで、目と足に障害を持っていたのである。この子は与右衛門にとっては初めての子だったのでとにかく育てる事にした。名は、同じことが「かさなる」という意味で「累(かさね)」と名づけられた。
累は順調に成長し、やがて婿を貰ったが、この男がまた父と変わらずひどい奴だった。婿は自分から与右衛門と名乗ったが、累の田畑が自分の物になるや否や、醜い累が邪魔になり、ついに鬼怒川の淵で殺してしまったのである。しかもそこは、杉が助を殺した場所と一緒だった。
邪魔な累を殺し財産も手に入った与右衛門は、もちろん後妻を迎えたが、これがすぐに死んでしまった。どうしたことか、新しい妻を迎えても、次から次とすぐに死んでしまうのである。
6人目の妻にようやく子が生まれ、菊と名付けたが、この子に恐ろしい事が起こった。
菊は十四歳で婿をとったが、それから間もなく恐ろしい病気に冒された。菊は狂ったようにもだえ苦しみ、そして父に向かって言った。
「私は菊ではない。お前の妻の累だ。6人の女房を殺したのも、田畑の実りを邪魔したのも、私の怨霊の仕業なのだ」
そして菊は父に向かってつかみかかってきたのである。
これには与右衛門も村人も驚いたが、どうする事もできない。そこで村にいた祐天和尚が念仏を唱え、村の法蔵寺に石仏を経てて供養すると、累の霊もやっと成仏したのだという。


※以上、「日本妖怪博物館」参考

他にも「怪談牡丹灯籠」とか「おいてけ堀」とか色々あるんですけどね・・・・・・。こうして見ると、祟る幽霊の話って女性が多いんですね。男性の幽霊もいないわけじゃないんですが・・・・女性の方が情念が強いということでしょうか。
女の強すぎる想い、といえば「道成寺」安珍・清姫伝説なんかも有名ですね。旅の山伏に恋をし、叶わぬと知ると臥せって、果てには死んで大蛇に変じ、血の涙を流しながら愛する男を鐘ごと炎で包み込んだ・・・・清姫。いつの時代も女の執念は凄まじいものですね。・・・おそろしい。
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by shougetu16 | 2005-09-23 11:20 | 幻妖趣味(~怪~)

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