空知作品から見える死生観 ―あの世と武士道の人生論

前から温めていたテーマなんですが中々まとまりませなんだで。
一週間くらいかけてちまちま構築していったのでボリューム出てしまいましたよ。

では早速、空知作品に描かれている死後から言及していきたいと思います。





◆「歯ぁくいしばれ 即刻成仏させてやる」 (丹波鉄男)
空知先生が真っ向から死後の世界を描いた作品として、デビュー作でもある『だんでらいおん』という読切があります。この世界に描かれている死後には、

・死ぬ(未練なし)→昇天
・死ぬ(未練あり)→霊となって現世を彷徨う→天使出動、強制昇天


のという二つのパターンがありました。幽霊は『銀魂』でも全蔵の親爺が登場しているし、幽霊の存在には肯定的なようです。まぁ漫画的にもネタにしやすいですからね(元も子もねぇ)。ここで興味深いのは、成仏した後の世界が描かれておらず、また詳しく語られてもいないこと。しかも冒頭でいきなり極楽浄土を「坊主の妄想」と一蹴しています。掴みとしては一種痛快ですが、じゃあ春吉ジーさんはあの後一体どこへ消えたの?極楽とはまた別の死者の次元に行ったの?別の命に転生したの?大気中に雲散霧消して千の風になったの?ここでまたテツの気になるセリフがあります。

>「言っとくけどなぁ しつけー男はあの世でもモテねーぞ」

“あの世”の概念はあるのね。しかもモテるモテないのの話が出るという事は、死者も恋愛・結婚をするという事なのでしょうか?すると、あの世では死者達も生者達と同じような生活を送っていると?ソウルソサエティみたいに?少なくとも、仏教の地獄や日本神話の黄泉の国のような暗いイメージは感じられません。“あの世”と言うと空知氏が昔から親しんでいたらしい水木しげる漫画の影響も少なからずありそうなものですが、水木漫画のあの世と言えば地獄ですから、極楽を否定しているのなら地獄の考えも無いかもしれませんね。でも水木漫画に出てくる地獄は、ちょっと楽しい。

※『だんで』で新作描いてくれないかな・・・銀魂終わった時にでも。あくまで読切にして欲しいのは、内容が『BLEACH』とまる被りなので今のジャンプでの連載には向かないと思うから。


ではお次は、思想や精神的な死の話へ。


◆「魂が 折れちまうんだよ」 (坂田銀時)
『銀魂』という作品のテーマともなっている“魂”という概念。この“魂”とは何なのでしょうか。広義では「生物の体に宿って心の働きを司るもののこと」「霊魂のこと」というのが辞書にも載っている解釈になります。また「大和魂」という言葉のように気構えや信念、精神、心を表す事もあります。「刀は武士の魂」という言葉のように、「非常に大事なもの」を表す事もあります。微妙なニュアンスの違いはありますが、共通しているのは肉体的にしろ精神的にしろ、みな人が生きる上での支え、芯となるものを指しているという事。それらの総称が“魂”というもののようです。

そして、たまのこんなセリフ。

>「何度電源を切ろうと何度ブレーカーが落ちようと
 この身が滅びようと忘れない ・・・だから
 みんなも私のこと忘れないで
 そうすれば私の魂は ずっとみんなの中で生き続けるから」


これは魂=記憶という捉え方ですね。この芙蓉編では芙蓉の人格データ(思考パターン、つまり考え方の記憶?)の事を「魂」と呼んでいました。つまり魂はその人がその人たる記憶のカタマリでもあるっていう意味と思っていいのかな。では、その魂が「折れる」「死ぬ」とはどういう事なのでしょうか。その答えらしいのが次のセリフです。

>「護るべきものも護れずに生き残っても死んだと同じ
 …それはきっと志の死 魂の死を指しているんでしょう」


護るべきものも護れずに生き残っても、死んだと同じ。また別に、「自分の定めた戦いから背を向ければ死んだも同然 最後まで人でありたいんだ」というセリフもあります。肉体が生きていても志が、魂が死んでしまっては犬畜生と変わらないという事か。この志にあたるものが、銀魂では武士道な訳ですね。命よりも大切にされる品性、誇り。しかし新渡戸稲造の『武士道』の切腹の項を見ると、「真のサムライにとって、いたずらに死に急いだり死を憧れることは、等しく卑怯とみなされた」とあります。志や天寿を全うもせずに自ら死になどすべきではないのです。それこそ最も厭われる「魂の死」ではないでしょうか。

>「どうせ命張るなら俺は俺の武士道貫く」
>「ホントにカッコイイってのは恥かいても泥すすっても生きてく奴のことだ」


命の続く限り志=魂を護ろうとする姿勢を貫くこと。辛い現実や自分自身と戦いうち克つこと。そういった魂の強さこそが武士道の求めるもの。そしてそれを体現するのがまさしく我らが主人公・坂田銀時なのだ!「俺の武士道」と言うといかにもアウトローですが、そのお膳立ての武士道からも決して外れてはいないのですよ銀さんも。あと新渡戸武士道って倫理観としても至極まっとうだと思います。「卑怯なことをしない」「人に優しく」「清廉な心を持つ」とか言ってる事は儒教規範で普通に善いことですし現代にも通用します。銀魂も儒臭いなと思う時があるし。

>「鉄を叩きながらてめーの魂を叩きあげろ 優しく清廉な人になれ 美しく生きろ」

このセリフとか。これは徳目のひとつ「仁」を説いていますよね。空知先生も『武士道』か『論語』か何かしら読んだんじゃないかなと思います。・・・あれ?いつの間にか死生観からだいぶ話が逸れてるや。

※長谷川さんも実は武士道の体現者じゃないか。自殺未遂してたけど。


◆「でも最期の時また笑えたらそれ上々な人生ネ」 (神楽)
空知氏にとって、死の瞬間にはとても重要な意味があるようです。

項のタイトルにした上のセリフを見て、何となく『京極噺六儀集』で読んだ一節を思い出したのですけど、あいにく手許に無いので記憶だけで語ってしまいます。確か落語の「死に神remix」という噺だったと思うのですが…。ある若い男が自分の冴えない人生にほとほと力を無くして死のうとしている所に、死神がやって来て「お前は死ねない」と止めるんです。それで男と死神の遣り取りが始まるんですけど、その中で死神が、「辛い」と思いながら死ぬとその「辛い辛い辛い辛い・・・」という感情だけが残ってそれが死後も永久に続くのだ、というような事を言うんですね。空知氏もこれと似たような考えを持っているのではないでしょうか。何を思いながら死んでいくかに重きを置いている点で、です。

『だんでらいおん』で春吉は、妻との喧嘩を後悔しながら死んだためにその思いに縛り付けられて地縛霊となってしまった。それまでの人生を多く笑って楽しく生きていた筈なのに、死ぬ前のほんの一瞬の負の感情で、死んでからも苦しむ事になってしまう。そうならないためにも、心からの穏やかな笑顔で死ぬのが最高の理想なのでしょう。死に際の微笑には次の生(あの世での生活)への希望も込められているのかもしれません。

ところが、「たとえどんな別れ方をしてもそれまでの人生が楽しかった事に変わりは無い」という『だんで』の人生観は、「でも最期の時また笑えたら ~」という神楽のセリフとは矛盾するように思えます。散々な人生でも死ぬ間際に笑えればそれは良い人生だ、終わり良ければ全て良し。このセリフはそのように受け取れるからです。でも待てよ。これって「それまでに素敵な人生を送っていれば、自然と死に顔も穏やかになるものだよ」って事を逆から言ったんじゃないか?ならばその前の「オニババになる事もある」云々にも「人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」という含みがあるのだろうし・・・。


近年は医療の発達に伴って長生きする人が増えてきました。
そうなると晩年は介護されて過ごす人も増えてくるでしょう。
死んでからも生きている人に介護して貰わないと、一人であの世へも行けないなんて。
難儀どころじゃありません。

よく死ぬためによく生きること。
よく生きるために魂を磨くこと。
そして魂を磨くために便器を磨くこと。

空知作品からそんなメッセージを感じたのでした。


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このテキスト作る前に銀魂気さんを覘いて色々お手本にしようと思ったんですけど、もう舌を巻くばかり。なんであそこまで濃く書けるんだろう・・・。もう一年以上更新されていないので同じ記事ばかり読んでいるのですが飽きないです。これからも勝手にお手本にします。


参考:
・YAHOO!辞書:【たましい(たましひ)】

『いま、拠って立つべき“日本の精神”武士道』/新渡戸稲造著・岬龍一郎訳
「仁」「礼」「誠」などは現代にこそ必要な尊い心だと思います。

『京極噺 六儀集』/京極夏彦
京極夏彦脚本の能・狂言の台本集。古典芸能と言うと敷居の高い印象ですが全くそう思わせないバカバカしさで笑かせてくれます。さて、「新・死に神rimix」で死神が男を止めた理由とは?

※後日本屋で『京極六儀集』を発見したので内容を確認したら、本文中に例として出した場面は落語の「死に神remix」のいち場面でした。記事をアップした当初は狂言の「新・死に神」と思って書いてしまっていたので、訂正しておきました。
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by shougetu16 | 2007-11-10 15:22 | 銀魂談義(その他)

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